ここは高知県嶺北地域土佐町(以下、土佐町)。田んぼのあぜ道に車を止め、小さな脇道を入って行くと、少し青みがかった灰色のアトリエがあります。
「こんにちは」。大きな声で編集部が挨拶をすると、絵の具の色がついた洋服を着た、あどけない笑顔の川原将太さんが出迎えてくれました。旅するアーティストとして、世界で絵を描いていた将太さんは、2015年から土佐町で活動しています。
1日中、黙々と作業し続ける日々。将太さんは「孤独に向き合わなければモノづくりはできない」と言います。アーティスト・川原将太の生き方を聞きました。
ぬるいところにおる自分が許せないんです
── 将太さんは土佐町に来る前、海外を旅していたとうかがっています。
川原将太(以下、川原) 28歳のときに、ワーキングホリデーのビザを取ってオーストラリアに行ったんです。1年間滞在するつもりが、結局6年半も海外におって帰って来なかったんですけど(笑)。
── 日本に戻るまでにはどんなことをしていましたか?
川原 ウーファー(WWOOFer)(*1)として、現地の受け入れ先の家族と暮らしながら絵を描いていました。
(*1)ウーフ(WWOOF)とは、World Wide Opportunities on Organic Farmsの頭文字からきており、WWOOFの参加者をWWOOFer(ウーファー)と呼びます。農場で無給で働き、「労働力」を提供する代わりに「食事・宿泊場所」「知識・経験」を提供してもらうボランティアシステムことです。 金銭のやりとりは一切ありません。 オーストラリアでは1981年から始まっており、約2600以上の受け入れ先が登録されています。引用:WWOOF (ウーフ)について知ろう! | シドニー留学センター
── ホストファミリーみたいなものでしょうか。
川原 そうそう。あとは子どもと一緒にお留守番をすることもありますね。ウーファーとして暮らしながら3年半。オーストラリアに2年。ニュージーランドに1年、イギリスに半年。たぶん、こんなに長くウーファーするひとはいないと思う(笑)。プロフェッショナルウーファーと、当時は言われていました。
── そんなに長く住まわせてもらえるものなんですね。
川原 居候させてもらうかわりに、絵をあげるんです。
── 当時は、どんな環境で描いていたのですか?
川原 どこでも。階段の踊り場や、お風呂の脱衣所で描くこともありました。画材は必要最低限のものだけ持って、キャンバスは現地調達して。
── 海外で絵を売ることもあるんですよね?
川原 もちろんです。完成したら意外とすぐに売れるんですよ。だいたい5万円くらいで売っていました。描きためて、よく展覧会もしましたよ。一度の展覧会で半分はすぐに売れるので、飛行機用の交通費に当てていました。
── 海外をアートの活動拠点にするのは理解できるのですが、転々としていたのはなぜですか?
川原 ぼく、口では定住したいと言っているけど、実際はダメなんですよ。ずっと同じ場所にいると自分がマンネリ化していることに気づいてしまうんです。驚きや発見、つまり成長のない日々をぬくぬくと送る自分を許せないんですよ。「何ぬるいところにおんねん」って。
磨き、成長し、輝ける場所が土佐町
── 将太さんは、絵の道を極めてきたと思うのですが、その道の先には何があるのですか?
川原 絵を描く道を例えて言うと、山登り。だから道の先には山頂があります。今までは山を登っていても頂上が見えたり見えなかったり。雨が降ったり曇ったりしながら、頂上だと思ってたどり着いた場所が頂上じゃなかったこともあります。そんなことの連続やったんですけど、土佐町に来て作品づくりに集中してからは、自分の「絵を極める」という道の頂上が見えてきたんです。
自分を磨ける場所、成長させてくれる場所、そしてぼくが輝ける場所が土佐町やと思っています。
川原 ぼくは自分を輝かせるために、世界や日本を転々としてきたし、もっと輝くために土佐町に来ています。心地よいから土佐町にいるというよりも、常に誰かがチャレンジさせてくれる場所だから、移動せず暮らしているのだと思います。
── チャレンジしているひと、主体的に暮らしているひとは、周りにもいますか?
川原 「笹のいえ」の渡貫ご夫妻。彼らが輝くから、周りにいるぼくも照らしてもらっていると思うんです。それに、負けたらあかんなぁと思う。個人でやっている(ヒビノ)ケイコさんもそう。ケイコさんは観察力が鋭いから、話すとき少しビビってますけど(笑)。尊敬できるひとが近くにおるのは、すごく大事です。
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対等なひとだけだと、刺激がなくて飽きてしまうじゃないですか。土佐町にはどんどん成長しているすごいひとがたくさんおるから、負けられへんなと思う。でね、最近は瀬戸さんみたいなひとも来るじゃないですか。
── 熱い志を持った方ですよね。
川原 そう。やっぱりひと同士が引き寄せ合っていると思うんですよね。
「孤独」はモノづくりに絶対必要なもの
── 土佐町に来てから将太さんは、表現する目的やテーマが変わることはありましたか?
川原 土佐町に来るまでは、ぼくはずっと「極める」ために絵を描いていたんです。だけど今は「お金を得る」ことも考えたアーティスト活動をしています。
── 極めるモノづくりというのは……。
川原 わかりやすく言うと、アーティストが命がけで作品をつくる作業がそうかな。もちろんぼくもこれまでは、自分の絵を極めるという山の頂上だけを目指してきたので、売るために作品をつくるのは嫌やったんです。
でも最近は、「極める」と「お金を得る」ことをバランスよくやりながら楽しめるようになってきて。今はモノづくりでちゃんと生計を立てる仕組みをつくって、土佐町で暮らすみなさんや、これからアーティストを目指す若者にとってのお手本になりたい、そうならなあかんなと思っています。
── そういえば、ヒビノケイコさんとの会話の中で「好きなことだけして生きていくなら、バイトもしちゃだめ、絵以外のことでお金を得ちゃだめ。そういう決まりを自分の中につくっています」(*2)って仰っていましたね。
川原 好きなことだけをするんだったら、好きではないことをしたらダメ。ぼくの場合、「絵だけで食べていけないんやったら食べるな」という話です。そのくらいの覚悟で取り組んでいたら、周りのひとが死なない程度に食べさせてくれます。ぼくがあえて「アルバイトをするな」と言ったのは、アーティストとして、自分の好きなことから目を背けたらあかんという意味でもあります。
── でも、その選択は孤独ですね……。
川原 そうですね。アートを極める世界は社会性のない世界。作品を生みだすために、自分の内側にある個の世界を、どんどん深めて、掘って、潜っていきます。孤独の中で自分と向き合う作業は、アーティストに付きもの。だから、アーティストは孤独から目を背けてはいけない仕事なんです。
── 寂しくはありませんか?
川原 もちろん寂しいんやけど、孤独はモノづくりに絶対に必要なものですからね。
── それはどういう意味ですか?
川原 ひとりぼっちの寂しさと付き合っていけるようになったら、アーティストとして9割は達成したようなもの。残りの1割は、時代の流れ、周りからのサポート、運だと思います。それを引き寄せるために努力があるのかな。
── 才能がある・なしに関わらず?
川原 アートを続けるお金がない、才能がない、チャンスがない。……そんなの絶対ちゃう。みんな、孤独に耐えられなくて挫折していると言い切れます。ぼくなんかより才能ある子は、なんぼでもいますから。
でも、アートをやめるのはひとつの正しい選択だと思います。逃げたとも思わへん。お金を稼ぎ、結婚し、家族との生活をつくっていくのも立派なこと。ひとは幸せにならなあかんし、生涯孤独なんて言っちゃあかんですよ。
アーティストの役割は、新しい価値観や生き方を体現すること
── それでも将太さんは、どうして今もアート活動を続けるのですか?
川原 決められた枠におさめられるなんて、ぼくは絶対嫌やから。
幸せにならなきゃいけない。人を愛せなくちゃいけない。ワークライフバランスを取りたい。……はぁ? そんな生き方せえへん。安心、安全、安定なんていらん。
── 将太さんは、そう思っている。
川原 うん。だから結局、いつも不安と孤独に飛び込もうとするんです。ちょっと頭がおかしいなって、自分でも思うことはあります。
寂しくなって「こんな人生、嫌や」って、悲しんだり、人に泣きついたりするときもあるんやけど(笑)。でも心の中では孤独の道を選んでいるんです。安定する方が、不安になるのかな。
── つくり手としての自意識が、なんだかゴッホみたいです。
川原 そうかもしれへんね。ゴッホは奇人扱いされているけど、ぼくは気が合うやろうと思います(笑)。でも、ぼくは耳を切るなんて絶対せえへん。そんなふうに自分はなりたくないから「あー、耳切りたい!」とか言って、周りにかまってもらうと思う(笑)。どんなに苦しい状況でも、楽しんでいますよ。
── 周りのひとに応援や期待をされることで、たったひとりで考えることにも自信を持てる。結局は、孤独が作品づくりの原動力になっているのかもしませんね。
川原 「あの人はアーティストやから」って、ぼくは特別視されがちですけれど、ぼくみたいに常識と違う価値観を抱くひとは、じつは結構いてると思いますよ。
── いろんな価値観があるのは当然で、その選択肢は、もっとあった方がいいですよね。
川原 うん。ある程度決まっている幸せのカタチって、あるじゃないですか。でもその型に当てはまらない、自分だけの選択肢があってもいいと思う。結果的に少数派を選んでも、ぼくは笑顔で生きているから。
「こんなんありますよ」って世の中にない価値観や生き方を体現するのが、アーティストとして生きていく、ぼくの仕事です。
(この記事は、高知県土佐町と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
川原 将太(かわはら しょうた)
大阪生まれ。学生時代は学業とラグビーに青春を燃やす。こどもの頃からの夢が“旅の絵描きになること”。京都市立芸術大学で絵を学び、オーストラリア・ニュージーランド・ヨーロッパ・アメリカ・アジアなどを、絵を描きながら旅をし、その夢を叶える。現在、高知県土佐町にたどり着き、今までの経験を活かした新しい生き方・ライフスタイルを創造中。
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